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No.title ~
これは一人の少年の幸せな物語である。
~1.性格~
「人に優しく、自分に厳しく。」
「自分が言われて傷つくような言葉を人にいうな。」
「自分の行いを誰かに否定されたら全て自分の責任。良く考えろ。」
いつ言われたのか、いつ教わったのかはわからない。
彼はその親からの教えをいつも忘れずにいた。
その教えのとおりに彼は生きていた。
…が、彼は正しい意味で理解していたのだろうか? きっと、いや、理解できてはいないのだろう。
人に優しく?自分に厳しく?
自分への厳しさ、ある意味苦行であるのかもしれない。
何かに抑制をかけ、鎖に縛られて生きる。 彼は厳しさをそう捉えていた。
人に優しくする。
優しさとは何か。 人を何かから救ってあげることなのか。
人に喜びをもたらすことか。 人に何をされても我慢して何も言わず笑顔でいることなのか。
彼は優しさというものがよくわからなかった。
人が傷つく言葉?
人が傷つく言葉、典型的なものといえば「死ね」とか「ウザい」と言われるようなものだろう。
彼はそういう典型的で直接的な人を傷つける言葉は言わなかった。
でも、人を傷つける言葉なんてたくさんある。みんながみんなそれぞれ考え方を無数に持っているように。
彼は人を傷つけたくなかった。
良く考えろ?
考える。考えると言われても何を考えれば良いのか。自分の行い?否定された部分?
何を考える以前に、考えるとは一体何だというのか?
行っては戻り、試行錯誤のすえ最初に戻ってくる思考のループ。
出口があるのかもわからず、時に姿を歪に変える思考の迷路という名の「輪」。
輪の中に入ってしまったと思っても、それでもなお「考える」。
どうせ元の場所に戻ってくる。途中の事象は変化しても結局は元に戻る。
そう考えつつもなお「考える」。
結果が変わらないのになおかつそれを実行するのはなんの意味があるというのか?
それは逃げではないのか?
彼は思考でも「恐れていた」のかもしれない。
彼の思考の「輪」の外壁はそもそもなかったはずなのに、彼の中の「恐怖」が外壁を生み出してしまったのだろうか。
苦痛である思考の「輪」の中には居たくない、けれど「輪」の外はさらなる恐怖があるのかもしれない。
…だったら苦痛であっても今いる思考の「輪」の中を永遠に回っていたほうが気楽なのだろう。
…結局逃げだ。
彼は傷つけるのを恐れるがゆえに「受身」な口調になった。
安全圏でなければ口を開かない。 かつてはどこであろうとも口を開かなかった。安全圏などわからなかったから。
彼は間接的に笑顔を絶やさない、考える人間になった。(間違った意味で)
彼は優しくありたかった。
~2.始まり~に続く。
2011/07/02 (Sat.) Trackback() Comment(1) 生活
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思考って輪じゃないと思いますよ?
一つの考えが元に戻ってしまうのは、
ある意味思考、考えたことになりません。
考え方の一つとして、元に戻らないように考える?
思考する?と、いうのはどうですか?
ジョン・タイター 2011/07/02 (Sat.) 23:51 edit